狂恋夢のマニエラ ニコラ ビュフと『ポリフィーロの夢』

伊藤 俊治 美術史家 / 東京芸術大学先端芸術表現科教授

『ポリフィーロの夢』2014年、原美術館

ポリフィーロは夢見る。

イタリアのドメニコ僧フランチェスコ・デ・コロンナの『ポリフィーロ の夢』(1499)は修道士ポリフィーロが愛するポーリアへの叶わぬ恋に 苦しんだ挙句眠りに落ち、夢のなかで不思議な森や壮麗な庭をさまよい、 ポーリアと再会し、華やかな祝祭や神秘の儀礼といったさらなる冒険や 回想を経て結ばれる中世冒険譚である。しかしインキュナブラ(印刷揺 籃時代)の最高傑作と呼ばれるこの書物が人々を魅了したのは、建築、 医学、動物学、植物学などの百科全書的な知の体系の深みと奇想天外な 木版挿画の精緻な美しさだった。数奇な物語に折り重なってゆくそれら の知の網とイメージの鎖は、錬金術書やタロットカードを思わせながら、 目眩く想像力と古代知の大パノラマの観を呈する。

暗い森の大樹の下で眠り込んだポリフィーロは夢のなかで古代遺跡の風 景を前に目覚め、大きく口を開け牙を見せる狼を見つけ驚くのだが、こ うした恐怖のモチーフと至福のモチーフが交互に繰り返し現れながら物 語は進んでゆく。ポリフィーロが安らぎと快楽の場に辿り着くには通過 儀礼のように暗く狭く恐ろしい道を潜り抜けてゆかねばならない。愛の 島キュテーラ島まで、そうした困難に何度も遭遇しながら探し求める最 愛のポーリアとは言わば古代の叡智の象徴でもある。

ニコラ ビュフはこの『ポリフィーロの夢』の内容と構造をなぞり、原美 術館全体を冒険の旅の場へ変容させてしまう。美術館入口そばの木はポ リフィーロが夢見て眠る暗い森の大樹となり、玄関のキャノピーは巨大 な口を開け赤く長い舌を伸ばす狼となる。その難所をくぐり抜け内部に 入ると、壁画や立体を組み合わせたインスタレーションから AR 技術を 駆使したインタラクティブ・メディア作品まで、ファンタスティックな ニコラ・テーマパークが迷路状に繰り広げられている。

ニコラの「凱旋 / 彼らは地球を救った」(2008)は金銀に飾られた馬車 とニンフたちが先導する『ポリフィーロの夢』の凱旋挿画の形式と構図 を借りてつくられたものだ。凱旋とはある人物や事件を称えるため寓意的なキャラクターを集合させ行進させるスペクタクル形式だが、ニコラ の作品では地球の危機を救った日本の特撮物スーパー戦隊シリーズの ヒーローたちが、列をなしパレードするヴィジョンに変えられている。

ニコラの「プルチーノ」(2009)も『ポリフィーロの夢』の黒い象のオ ベリスクからヒントを得てつくられた。象の背に巨大なオベリスクが乗 るこの立体作品は、ベルニーニの「象のオベリスク」、ディズニーの「ダ ンボ」、日本の仏教建築、御神輿、ロッキングチェアなどの様々な要素 を融合させたロッキング象である。そこにはオベリスクという古代の叡 智の重さを支えるためにしっかりした頭部(頭脳)が必要だが、すべて の知には「運動と遊び」が欠かせないというニコラのメッセージが込め られる。

ニコラがアートディレクションを担当したハイドンのオペラ「オルラン ド パラディーノ」(2012)でも、こうした奇想と寓意の有機的な結合が 深いレベルで探求されている。サラセンの侵攻と戦うシャルルマーニュ とパラディンの活躍を背景にオルランドの失恋と発狂が語られるこのル ネッサンス時代の物語は、時代や地理は大雑把で、魔法使いや怪獣が現 れ、月世界旅行も実現される突飛な内容だが、ニコラはフランスのバロッ ク演劇の舞台装置からヒントを得た赤いアーケードをつくり、円台と階 段は映画「スターウォーズ / 帝国の逆襲」の雲の都市のセットの要素を 組み合わせ、魔女アルチーナの洞窟を生み出した。実はこの場面で魔女 アルチーナはオルランドを石化させ地獄へ突き落とすのだが、「スター ウォーズ / 帝国の逆襲」でもハン ソロはダース ベイダーにより炭素冷 凍(石化)されてしまう。つまりこの場面はニコラ独自の観念連合を引 き金にキャラクターの特性を煌めかせるものなのだ。

またオルランドの従者パスクアーレの服装は「仮面ライダー」のコス チュームから発想し、ヘルメットの翼や刃は漫画「アステリックス」を 思わせ、羊飼いのユーリアは映画「バーバレラ」のセクシーなデザイン を参考にし、狂えるオルランドの衣装は拘束衣と中世騎士の鎧をミック スさせ、髪や髭は「ドンキホーテ」やティム・バートンの「シザーハンズ」の要素も取り入れられる。さらにババリア王ロドモンテは歌舞伎の隈取 りの影響を受け、彼の乗る車はデコトラ スタイルで、海の怪獣は 90 年 代の TV ゲームの図式的な海を背景にゴジラやウルトラマン怪獣のよう に動きまわる。

ニコラのこうした創造の手法は単純な引用や折衷ではなく新しい次元を 生成させようとするものだ。エドゥアール グリッサンの言葉にならえ ば、その次元とは「ここ」と「よそ」に同時に存在し、根付くとともに 開かれ、調和しつつ流浪するようなこれまでにない次元である。

コミュニケーションや移動の機会が異常に増大し、人間の生き方や考え 方に大きな影響を与え、日常生活が混沌とした旅のようなものに変わっ てしまったこの時代において、アーチストは記号に溢れた文化のランド スケープを貫きながら複数の表現や新たな経路を生み出してゆく存在と して認識され始めている。こうした状況をニコラ・ブリオーは「オルター モダン時代」と捉え、西洋を発祥地とする 20 世紀モダンに対し、21 世 紀オルターモダンは惑星規模のクレオール化を基盤に地球全体に散ら ばった多彩な文化の関係性から生まれてくるものだとした。

そのオルターモダン時代の新たなマニエラを編み出すために重要なの は、歴史的な時間や地理的な場所を平板化せず、共与しあう文化の営み や物の記憶の深さを大切にし、スーパーフラットではなくスーパーヴォ リウムを目指す方向だとニコラ ビュフは考える。

現代のアーチストは驚異的な情報量を前に選択と応用の独自の感覚を養 いながら多様性の美学を開き均一性の単調さに亀裂を入れてゆかなくて はならない。厖大な知のネットワークをリズミカルな運動に変え、真面 目に歴史と遊び、楽しく時代錯誤し、悦ばしき知識を身体化してゆくこ とが求められる。ニコラ ビュフの一連の作品はそうした方向と姿勢から 生まれた最良の成果と言えるだろう。

翼の生えた馬、アドニスの墓、怪異なドラゴン、三美神、ヴェヌスの泉など寓意と象徴の横溢する『ポリフィーロの夢』は、そのような意味で ニコラ ビュフにとって大きな啓示であり続ける。その原題の「ヒュプネ ロトマキア ポリフィル」はギリシャ語の「ヒプノス(夢)」と「エロス

(愛)」と「マキア(戦い)」の合成語であり、この書を日本に初めて紹 介した澁澤龍彦は「狂恋夢」と訳した。夢と愛と戦いが狂おしいまでに 渾然一体となった人間の感情のオーガニックな結合状態がその言葉に込 められている。ニコラ・ビュフは、成長や環境に合わせ自らの根を動か し新たな根を付加させてゆく蔦のような創造力で、想像世界と現実世界 に多様なリンクを張り、独自のマニエラをこれからも更新し続けてゆく ことだろう。

 

 

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