こちらからどうぞ、オオカミのお口のなかへ

ミカエル・リュケン

『ポリフィーロの夢』2014年、原美術館

東京の個展である人が詰問するように「あなたの仕事は漫画やアニメの 世界から着想を得ているのですね!」とニコラ ビュフに言ったことが あった。こうした物言いには「日本で行われていることとそっくり。あ まりにもそっくりだ」との意味合いが言外にほのめかされている。ニコラ ビュフは「よいことをおっしゃってくださいました、まさしくそのと おりです」と答えてもよかったのではないだろうか。彼は 2007 年から 東京に居を構えた東京芸術大学の博士課程の学生だったのだ。
ルネッサンス、ハリウッド、日本のアニメなどから取り入れたモチーフ を織り交ぜることで、ニコラ ビュフはそれぞれの領域を仕切る境界とは 何かを問い直し、それゆえに固有性そのものを問い直している。人々の、 諸文化の、様々なスタイルの、それぞれの固有性を問い直しているのだ。 つまりは以下のような問いである。ビュフの作品は日本の「われわれ」 において居場所を見つけられるのだろうか。日本は西洋的な「私」の部 分となることができるのだろうか。しかしそれらを超えて、このような 区分けにいまだ意味があるとすればどの程度のものであるのだろうか。
ほぼ 200 年にわたって、東洋のとりわけ日本の芸術家たちはヨーロッパ において模倣者とされてきた。自分の国の伝統、またはヨーロッパ芸術 の諸形態の模倣者であると。こうした極度に否定的な価値判断をくだす ことで、西洋人は「創造主」として自任し、支配の権利を主張する根拠 としてきた。しかしながら、日本人自身もこうした価値観を取り入れて きたのである。1913 年の時点から夏目漱石は日本人が外部モデルを再 生産するのをやめるように主張していた。漱石は「考えるとそう真似ば かりしておらないで、自分から本式のオリヂナル、本式のインデペンデ ントになるべき時期はもう来ても宜しい。また来るべきはずである [1]」 と書いている。しばらくあとの 1927 年、東洋史学者の桑原隲蔵は常套句に手を加えながら「支那人は一般に模倣は上手であるが、應用が不得 手である [2]」と述べることで日本の優位性を強調している。この時期よ り日本は「ミメーシスへの欲求」をもっとも強い原動力の一つとしたロ マン主義的近代の諸価値を内在化させたのだ。[3]

1970 年代より日本の映像文化はますますひろく世界に受け入れられ、 模倣をしようとする切迫感はバランスのとれたものとなった。今やヨー ロッパでも、アメリカでも、数万人の若者が日本の漫画のスタイルで絵 を描いている。鏡をひっくり返し、こうした現状を嘆くだけで満足して よいのだろうか。なによりもこれは近代の諸価値とは何かを、「われわれ」 という言葉を、「われわれ西洋人」や「われわれ日本人」というときの 人類そのものの区分けとは何かを問う機会ではないだろうか。日本が根 底のところでは徐々に近代の諸価値̶ 個人と科学の重視、模倣にたい する創造の優越、経済自由主義など̶ を取り入れたのに、近代性を共 有する文化の共同体を意味する言葉が人種的かつ地理的基準を超えたと ころではほとんど存在しないのは奇妙なことではないだろうか。
長いあいだニコラ ビュフにとってインスピレーションの源泉となって いたのは『ポリフィルス狂恋夢 [4]』であった。まだ彼がパリで学生だっ たころ、そのことを語る際の情熱的な調子を私は思い出す。この物語の 主人公ポリフィロは恋する若者ではあるが、その愛は満たされることが ない。粘り強い頑張りのかいあって、この若者は愛する女性を魅惑する に至る。ところが、我が手にしかと抱きしめ今や欲望が満たされんとす るその刹那に、自分のものと思い込んでいたその女性は消え去ってしま う。ルネッサンス時代にさかのぼるこの挿絵付き物語で語られているの は、個人が他の個人と一体となることの不可能性であり、それは夢想の なかですら変わらないということである。愛の力で他者に溶け込んだとおもった刹那に、自分自身の境界へと引き戻されてしまう。「私」のみ があり、「われわれ」とは幻想でしかないのだ。ポリフィロとは、この ような視点から眺めると、欲望することも、ときには他者や集団性のな かに溶け込もうとしてみる存在でありながら、心の奥底では目的が達せ られないことをすでに知っている、自分自身の愛によって疎外された近 代的人間そのものである。今日でもなお扱われてよい素材ではないか。
1920 年代から、日本の思想家は近代の矛盾から抜け出す方策について思索を巡らせていた。ハイデガーとドイツ現象学の影響を受けた中井正一のような思想家たちは距離(日本語の「間」)の問題を間主観的空間 の問題として検討した [5]。「間」に関心を持つことは、個別でありなが ら必然的につながった数々の事物の緊張に満ちたひろがりを空間として 扱うということである。たとえば、音楽で一つ一つの音を引き離しなが ら目立たせようとするとき、互いに距離を取らせつつも結びつけている。 またさらに大きな次元では、一つの文化をもう一つの文化から距離を取 らせることでそれぞれがどのように異なっているのかをよりよく示すこ とができる。「間」を重視することは西洋の植民地主義的言説による暴 力にたいする日本なりの答えなのだ。

ニコラ ビュフの作品は距離を混乱させる。古典文化と民衆文化、偉大な 芸術と娯楽、荘重さと軽薄さ、美の理想と装飾機能、西洋への準拠とア ジアへの準拠、永続的なものとはかないもの、美術館とストリートといっ た近代美学を構築するほとんどの二項対立がそこでは揺り動かされてい る。彼の作品は西洋近代の暴力的なヒエラルキーに安住せず、さりとて 日本的な「間」の求めるところ、つまり差異や状況を恭しく尊重する清 潔な空間をよしとするわけでもない。そうではなく、むしろ「オオカミ のお口にお入りなさい」と呼びかけているのだ。「オオカミのおなかに何があるのか見にいってらっしゃい」と。ビュフの作品にはどこか自身 の限界まで成長を続ける有機体のような増殖する何かをおもわせるとこ ろがある。装飾的な側面がみられるのはそうした意味においてである。 装飾はそれ自体が目的ではなく、すでに存在する枠組みの上を通りぬけ るための、すでに打ち立てられた様々なシステムから自らを解放するた めの手段なのだ。

2012 年末に北野武は『間抜けの構造』と題された本を出版した。滑稽 を装いながらも、そこでは「間」や距離をめぐって批判的な問い直しを こめた真摯な思索が繰り広げられている。彼によると「日本人が得意な “ 間 ” は、かえって新しいものをつくる妨げになるのかもしれない [6]」 のだ。ジャンルを混交させ、敷居を重視しながら、ビュフは 20 世紀に 批判的な視線を投げかけるのみならず、刺激的な解決策を提案する。西 洋の絵画は長い間アルベルティ流にいうならば歴史と世界に「開かれた 窓」として思考されてきたのにたいして、ニコラ・ビュフはむしろ「扉」 として絵画を見ているのだ。事実、彼は扉の形をした作品を多く制作し ている。すでに存在している構造物上の例として、2008 年パリのダイ アン・フォンファステンバーグのブティックや、2009 年ニューヨーク での個展「ゲーム・オブ・ラブ・アンド・チャンス」のエントランス、 中庭に展示されたものとしては 2009 年のフランス大使館での作品など が挙げられる。彼自身のウェブサイトのトップページは門扉のデザイン である。彼の作品を作り上げているアーチや円柱もまた扉のようなもの である。この点にかんしては、敷居を重視するこうした方法にはビデオ ゲームを想起させるものがある。多くのビデオゲームは通路を見つけて 次のレベルに進んでいくようになっているのだから。

これらすべてはゲームでしかないのではないか。もちろんそうだが、し かし、である。 絵画を窓ではなく扉とすること、それはまなざしについて、外を眺めな がら内に、あちらがわを眺めながらこちらに、昨日を眺めながら今に、 彼らを眺めながらわれわれにとどまるものとはしないようにすることな のだ。見る者は壁の片側から眺めながらも、さらに歩を進めて反対側か ら眺めることができるようになる。こうした選択には強く美学的な側面 があり、かつ倫理的な側面もある。まなざしにたいして壁を通りぬけて みよと提案することは̶ それが身体的なものであっても比喩的なもの であってもどちらでもよい̶ ひいては経験と視点の複数性に価値を与 えようとすることである。複数性とはいまだに支持されることがなかな かないのだが本質的な概念である。複数性は個別性と対立するが、個別 性が並置されているに過ぎない多様性とも対立する。複数性は「自然な」 融合であると主張する混血でもない。複数性の意義とは主体の分裂を、 裂け目と断層と矛盾を受け入れることにある。それは孤立した「私」へ の拒絶であり、漠とした「われわれ」への拒絶である。ただし、個人と してのありかたそのものをリセットしようとしているのではない̶ ニ コラ ビュフの作品にみられる個性はあきらかではないか̶ そうではな く、個人とは複雑なものとしてあり、唯一の主人に仕える僕としての主 体ではない、そのことを受け入れることこそが複数性なのだ。こうした ことは多くの人々にとって自明なことでありながら、それを認めること が、なぜ、いまだこんなに人を恐れさせるのだろうか。

(仏文和訳:平林通洋)

1. 夏目漱石、「模倣と独立」、『夏目漱石全集』、第33巻、東京、岩波書店、1957年、125頁

2. 桑原隲蔵、「支那人の文弱と保守」、『桑原隲蔵全集』、第 1 巻、東京、岩波書店、1968 年、487 頁

3. 参照:ルネ・ジラール(古田幸男訳)、『欲望の現象学:ロマンティークの虚偽とロマネスクの 真実』、法政大学出版局、1971 年

4. 訳注:フランチェスコ・コロンナ作とされる(異論もある)イタリア語とラテン語を交えて書 かれ 1499 年にヴェネチアで印刷された『ヒュプネロトマキア・ポリフィリ』のこと。1546 年 にフランス語訳が出版されたさい『ポリフィロの夢』とされ、日本では澁澤龍彦による和題『ポリフィリス狂恋夢』(『胡桃の中の世界』、青土社、1974 年)で紹介された。ただし、本文自体はまだ和訳されていない。

5. 参照:中井正一、「芸術の人間学的考察」、『中井正一全集』、第2巻、東京、美術出版社、1981年、3-10 頁

6. ビートたけし、『間抜けの構造』、新潮社、2012 年、157 頁

 

 

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